恋愛は魂を濁らせる
恋愛は魂を濁らせる
恋愛は魂を濁らせる
けだし名言。
恋愛している時の自分は気持ち悪いもの。そういうものはもういいやと、私の人生からは無くしてしまおうと決めてからの10年はある程度澄んでいた。
でもある程度なんだな。
恋愛的なものと入れ替わるように老いへの不安が占めるようになった。若者の才能やセンスに恐れを抱き、お払い箱に入れられる自分を想像し、金への執着も消えない。
どっちにしても濁っている。
恋愛は魂を濁らせる
恋愛は魂を濁らせる
恋愛は魂を濁らせる
けだし名言。
恋愛している時の自分は気持ち悪いもの。そういうものはもういいやと、私の人生からは無くしてしまおうと決めてからの10年はある程度澄んでいた。
でもある程度なんだな。
恋愛的なものと入れ替わるように老いへの不安が占めるようになった。若者の才能やセンスに恐れを抱き、お払い箱に入れられる自分を想像し、金への執着も消えない。
どっちにしても濁っている。
愚の骨頂/続・うさぎとマツコの往復書簡を読んでいる。
二人の間ではとても丁寧に言葉が交わされている。お互いの言葉の定義のズレを確かめいあいながらすれ違いは丁寧に解かれていく。
こんな会話したことない気がする。そういった作業はとても面倒だし、それ以上に、自分がバカと思われるんじゃないかとか、相手に落胆されるんじゃないかとか、面倒で迷惑な人間と思われるんじゃないか、そのために相手との関係が成り立たないのではという怖さで逃げていたような気がする。
ここ最近、人と話していても不完全燃焼でモヤモヤを抱えたまま別れることが多く、話題が合わないせいかと思っていたけど、話題の問題ではなくて、丁寧な会話を、お互い落胆するかもしれないし、面倒で迷惑かもしれないけれどそういう不安も預けてしまえるような、そういう会話を求めていたんじゃないだろうか。
話題ではなくて、その時生じたズレを丁寧に確かめ合う、そういう会話。「あの話がしたかった。この話をしたかった」と不満を抱えながら別れていたけれど、話題はなんでもいいのかもしれない。
そういう会話をするためには、まずは自分が言葉を丁寧に扱わないといけないな。曖昧に乱暴に使っていては私自身がしたい会話の席にも着けない。言葉を大切に扱うよう心がけるところからだな。
加えて会話がどう転んでもいいじゃないかと思い切ること。
中村うさぎとマツコ・デラックスの往復書簡を読んでいる。
孤独で不幸な自分をそのまま受け入れていくような心地。
孤独で不幸、それだけで苦しいのに、幸せでないことは恥というような、幸せでないといけないような、そんな強迫観念のようなものが苦しみを苦しみのまま感じることを禁じてさらに苦しみに追い打ちをかける──これがこの20年の私の人生だ。
孤独。不幸。ここから脱出したくて必死にもがいた。でもダメだった。そして悲しいことに、それでもまだ幸せなるものを諦めきれず手に入れたくて冷静な顔をしながら渇望している。
書簡の中の言葉には自ら感じた言葉も多くあった。けれど自分の中から湧き上がってきた言葉に従うことは怖かった。すでに人生が失敗しているにも関わらず、これ以上に堕ちていくような気がして外側から見た正しさに自分を合わせようと自分を殺しつつ、かと言ってそんなものに従いたくないという反発心も失うことができず、どっちつかずのまま生きてきたのがこの20年。なんて格好の悪い人生だろう。
彼女たちは自らの言葉を大切にしてきたのだと思う。元々の知性や才能がずば抜けていることは勿論、自らの言葉に背を向けずにいられたかどうかが私のような凡庸な人間との決定的な違いのように思える。
大きな地位にある人が転げ落ちる様を目にした。多くの人は彼を強者と見ていたけど、いざ事が起きてみればその弱さが露呈。
社会的なその地位が変わったわけではないけど、彼のカリスマ性は地に落ちた。真に強靭な人ではなかったんだな。
彼の迷走は私にとっては解放でもある。いかに自分が縛られ自由にものを感じることを禁じていたかがよくわかった。彼の弱さと共に私の奴隷っぷりも露呈したわけだ。
長年カリスマに焼かれ自分を失っていた。あぁ、恥ずかしい。
彼の元からは多くの人が離れた。そんな中、ある男性の言葉が印象に残っている。「今回の件はあの人が悪いにしても、そんなモンスターにしたのは自分達だろ?操縦できなかったんだろ?」と。
これは頷かざるを得ない。
彼自身はもちろん、周囲も含め、口ではなんと言ってても、人って弱いものなんだなとつくづく感じた。「お見事!」という立ち回りを見せてくれた人なんて一人もいないもの。
彼と本気で関わろうとした人は一人でもいたんだろうか。本気で関わろうとしても彼が拒むから折りを見つつ調整を図ってきていた中での事件だったんだろうけど。いや、長い時をかけて調整を図る努力を続けることが本気で関わるということともいえるか。
とにかく。世の中にはそんなに立派な人なんていない。みんな本当に弱い普通の人。そしてそれでいいと思う。
くだらない話を自信満々にする人っていますよね。あれがもうピキーッと血管が切れそうになるほど嫌で、そんな場面に出くわすと肉乃小路ニクヨさんばりの白目を剥きたくなってしまいます。
ひとりイライライライラしてしまうわけです。
けれど周りの人たちはさほどストレスを感じている様子でもなく、なんなら楽しそうに話している人もいる。いや、みんな普通に楽しそう。どうやら私が神経質なだけっぽい。
なんで私一人がイライライライラしてしまうのか。それはもしかして、私もくだらない話を思いっきりしたいのかもしれない。自分が出来ないことをやっている人に対して腹を立てているだけかもしれない。
そんな仮説をもとにブログを始めてみることにしました。一種のセラピーみたいなものです。